はじめに:医療DXと情報セキュリティ
医療DX(デジタルトランスフォーメーション)とは、最新のデジタル技術を活用して医療サービスを根本から変革し、患者中心の医療を実現する取り組みです。単なるデジタル化ではなく、医療のあり方そのものを変える可能性を秘めています。
なぜ今、医療DXが必要なのか?
日本の医療は現在、多くの課題に直面しています:
- 高齢化による医療費の増大
- 医師の偏在
- 新型コロナウイルスのパンデミックによる医療体制の脆弱性露呈
これらの問題解決には抜本的な改革が必要です。例えば、AI診断支援システムの導入により、医師の負担軽減と診断精度の向上が期待されます。実際に、A大学病院ではAIによる画像診断支援システムを導入し、早期がんの発見率が前年比15%向上したという報告があります。
医療情報システムの安全管理の必要性
医療情報の特殊性
医療情報システムで取り扱う情報には、以下のような特徴があります:
- 患者の病歴などの機微性の高い個人情報を含む
- 情報が漏洩した場合の影響が甚大
- 適切な管理がされないと患者の生命や身体の安全に直接影響を及ぼす可能性
深刻化するサイバー攻撃の脅威
2020年のドイツの大学病院での事例は、医療機関へのサイバー攻撃の危険性を如実に示しています:
- ランサムウェア攻撃によるシステムダウン
- 救急患者の受け入れ停止
- 医療提供体制への重大な影響
3省2ガイドラインの概要と重要ポイント
医療情報安全管理ガイドライン(厚生労働省)第6.0版
1. 全体構成の抜本的見直し
今回の改定では、医療機関の規模や役割に関係なく、必要な対策を適切に実施できるよう、読者の役割に応じた4つの編に再構成されました。
概説編(全読者向け)
- 医療情報システムにおける安全管理の考え方
- 医療機関が対応すべき法令
- 個人情報保護に関する要件
- リスクマネジメントの基本概念
経営管理編(意思決定・経営層向け) 具体例:予算配分の考え方
- 初期投資
- セキュリティ製品の導入:5,000万円
- ネットワーク整備:3,000万円
- 端末の更新:2,000万円
- 運用コスト(年間)
- 保守費用:1,200万円
- 人件費:2,400万円
- ライセンス費用:800万円
- 教育研修費用(年間)
- 職員研修:300万円
- 資格取得支援:200万円
- 外部コンサルティング:500万円
企画管理編(システムの安全管理者向け)
医療機関における情報システムのアクセス権限は、職種ごとに適切に設定する必要があります。具体的な設定例を見ていきましょう。
まず、医師に関しては、診療行為の主体として患者の診療情報に関する全ての権限(閲覧、入力、修正、削除)が付与されます。一方で、会計情報については参照権限のみとし、人事情報へのアクセスは制限されます。
看護師の場合、診療情報には担当患者の範囲内で必要な権限(カルテ記載、バイタル入力など)が与えられますが、全ての患者の情報を閲覧・編集できる全権限とは異なる部分的な権限となります。会計情報は医師と同様に参照のみとし、人事情報へのアクセスは認められません。
事務職員については、業務上必要な範囲で診療情報を参照することはできますが、医療記録の入力や修正の権限は持ちません。その代わり、会計情報に関しては請求業務などに必要な全ての権限が付与されます。人事情報については、担当業務に応じて必要な範囲で権限が設定されます。
このように、職種ごとの業務内容や責任範囲を考慮し、必要最小限の権限を付与することで、情報セキュリティを確保しながら、業務効率を維持することが可能となります。
なお、これらの権限設定は定期的に見直しを行い、人事異動や組織変更に応じて適切に更新する必要があります。また、アクセスログを定期的に確認し、不適切なアクセスがないかモニタリングすることも重要です。
システム運用編(システムの運用担当者向け) 日常点検項目の具体例:
- バックアップ確認
- 実施時刻:毎日23:00
- 保存世代数:7世代
- 復旧テスト:月1回実施
- ログ確認
- アクセスログ:毎日
- エラーログ:リアルタイム
- セキュリティログ:毎日
2. 外部委託・クラウドサービス対応の強化
クラウドサービス利用時のリスク評価項目
- データの保存場所と適用法令
- 国内データセンター要件
- GDPR対応要件
- 個人情報保護法対応
- バックアップ体制
- RPO(目標復旧地点):1時間以内
- RTO(目標復旧時間):4時間以内
- 地理的分散保管の要件
責任分界点の明確化事例
実際の医療機関での契約書記載例:
第○条(責任分界)
1. 診療データのバックアップについて
– 診療時間内のデータ保存:医療機関が実施
– 日次バックアップ:クラウド事業者が実施
– 世代管理(7世代):クラウド事業者が実施
2. セキュリティ対策について
– ウイルス対策:医療機関が実施
– OS・ミドルウェアの脆弱性対応:クラウド事業者が実施
– ネットワーク監視:クラウド事業者が実施
3. 情報セキュリティ対策の刷新
ゼロトラストネットワーク導入事例
大学病院A病院での実装例:
- 認証基盤の整備
- 生体認証の導入
- デバイス証明書の実装
- 多要素認証の必須化
- アクセス制御の強化
- 常時認証の実施
- 最小権限の原則適用
- 振る舞い検知の導入
- 監視体制の確立
- SOCの24時間365日運用
- AIによる異常検知
- インシデント対応の自動化
医療情報システム提供事業者向けガイドライン(経済産業省・総務省)第1.1版
1. 具体的な要件の明確化
インシデント事例と対策
つるぎ町半田病院でのランサムウェア被害事例:
- 発生した問題
- バックアップデータの暗号化
- 診療記録へのアクセス不能
- システム復旧の長期化
- 根本原因分析
- アクセス権限の管理不備
- バックアップの保管方法の問題
- インシデント対応手順の不備
- 実施された対策
- バックアップの分離保管
- アクセス制御の強化
- 監視体制の強化
2. 医療機関との連携強化
提供すべき情報の具体例
- セキュリティ対策の実施状況
- SOC2レポート(年1回提供)
- ISMS認証(更新状況)
- プライバシーマーク(更新状況)
- インシデント対応体制
- 24時間対応体制の詳細
- エスカレーションフロー
- 復旧手順と訓練実績
医療DXの将来像と課題
2030年に向けた具体的目標
- 電子カルテ普及率
- 現状:42.3%(2020年)
- 目標:90%(2030年)
- オンライン診療実施率
- 現状:約10%
- 目標:50%
- 医療情報共有率
- 現状:約20%
- 目標:80%
具体的な施策と課題
- システムの標準化
- HL7 FHIR規格の採用
- 用語・コードの統一
- APIの標準化
- セキュリティ対策の強化
- ゼロトラスト・アーキテクチャの導入
- 常時監視体制の確立
- インシデント対応の自動化
まとめ:医療DXの実現に向けて
医療DXの推進には、適切な情報セキュリティ対策が不可欠です。3省2ガイドラインを理解し、具体的な対策を実装することで、安全で効率的な医療システムの構築が可能となります。
重要なポイント:
- ガイドラインに基づく体系的な対策の実施
- IT資産管理ツールの活用による効率的な運用
- 継続的なモニタリングと改善の実施
- 人材育成と体制整備の推進
- 外部専門家との連携強化
医療DXは、単なるデジタル化ではなく、安全で質の高い医療サービスの実現を目指す取り組みです。セキュリティ対策を適切に実施することで、患者と医療機関の双方にとって、より良い医療の未来を築くことができます。